氏家京子のゲルソン療法関連の経歴

薬剤師の祖父、医師の伯父、製薬会社MRの父。

ぽっぽやとして北海道で国鉄の駅長を務めた祖父、家政学を学び料理の上手な母。

そのような両親のもとに生まれ、幼少時から医療に携わる人たちを身近に見ながら、愛情たっぷりの家庭料理で育つ。

 

大学時代のヨーロッパ旅行やアルバイト経験から、世界を広く見聞することに興味を持つ。

「一所懸命生きることが、そのまま仕事になったら」との思いで北海道内のマスコミ系を中心に就職活動をするも全敗。

伯父を頼って上京し、健康雑誌の編集部(月刊健康医学、港区)に就職する。

 

東洋医学の話題が中心の健康雑誌で、医師、各種治療師、ヒーラー、患者、元患者などのインタビューで全国に取材に出かける。

その土地に暮らす人を理解するため、取材の合間に歴史がわかる場所に立ち寄る習慣はこの頃から始まる。

 

マキシム・ド・パリやローゼンケラーなど日本の美食を開拓した後、自らの食原病と医原病をきっかけにマクロビオティックの普及に尽力した花田美奈子先生(ハナダロッソ、原宿)に取材で出会い、食事と健康の関係に関心を持つ。花田先生のハイセンスで美しい健康食からも影響を受ける。

 

編集部チーフだったジャーナリスト阿部孝次から、エドガー・ケイシー、エマニュエル・スウェデンボルグ、マックス・ゲルソンの翻訳者でジャーナリストの今村光一先生(自健会、大田区)を紹介され、海外にはがんを治す食事療法や栄養療法があることを知る。

今村光一先生が講師を務める医聖会(食品販売業、山武市)主催のゲルソン療法講習会を取材し始め、参加者のために無塩食とにんじんジュースを作るキッチンボランティアの経験を重ねる。

海外の自然療法について見聞を広めるため、休暇を利用し今村光一先生の海外取材に同行し始める。亜麻仁油で有名なオメガ・ニュートリッション社(カナダ)の工場見学もする。

 

勤務していた月刊誌の編集部を置く会社で、顧客の健康教育向けに光学顕微鏡の血液分析事業が始まる。自分の血液が想像以上の醜い形態であることに驚き、食生活とライフスタイルの改善に悩む。

 

1998年、米国ロサンゼルス郊外パサデナで開催された、CCSキャンサー・コンベンションを聴講。シャルロッテ・ゲルソンに初めて会う。書店ブースでジェームズ・プリビテラ医師が書いた血液分析の本を入手する。

 

メキシコ、ティファナ市の代替療法病院群を初めて見学。代替医療のメッカと呼ばれていることを知る。アメリカンバイオロジックス、オアシス・オブ・ホープ(コントレラス病院)、ホスピタル・サンタモニカ、ステラ・マリス・クリニックなど約10施設とともに、ゲルソン・クリニックを初めて見学する。

 

2000年12月、今村光一先生に頼み、中央アート出版社の吉開狭手臣社長と縁をつないでもらい、最初の翻訳書籍『沈黙の血栓ー患者にも医師にも役立つ知識』を出版。暗視野顕微鏡で血液を分析するという非医療ツールを日本に紹介。会社員のかたわら代替医療分野の翻訳者としてデビュー、以後10冊以上の書籍を出すことになる。

 

2001年、統合医療のサービスと商品を販売するアメリカンバイオロジックスジャパン社(港区)へ転職。本社主席研究者のロバート・ブラッドフォード医学博士のアテンドや商品カタログの日本語訳を手がける。

転職前後のストレスで消化器の不調が最高潮に達するも、アメリカンバイオロジックス社のエンザイム系サプリメントを統合医療で使用する鈴木秀夫医師(鈴木医院、山武市)の助言で回復。膵酵素の力を自ら体験する。

アメリカンバイオロジックス社の国際会議を取材するためマルタへ。糖質制限ダイエットの元祖で著名人だったロバート・アトキンス医学博士の講演を聴講。国際会議の取材記事は『メディカル・ニュートリション』紙(UBMジャパン株式会社)で12ヶ月連載。

 

2002年4月、アメリカンバイオロジックス社の日本撤退を機に、フリーランスジャーナリストとして独立。原稿の締め切り期限に追われることなく、自らの実感にもとづく原稿を書く環境を求めて東京から房総半島の和田町へ移る。

 

2002年9月、シャルロッテ・ゲルソンが出版した書籍の翻訳を今村光一先生から託され、『【決定版】ゲルソンがん食事療法』として、先にフリージャーナリストになっていた元上司、阿部孝次と共同翻訳。徳間書店から出版。

翻訳作業中にコーヒー浣腸用キットを入手するも、自分はがんではないと理由をつけて一度も使用せず。

がんの食事療法について、ひととおり日本語訳をしたものの、実際のやりかたには不明なことが多く、ゲルソン療法に対する疑いは深まり、悩み始める。

 

ひょんなことから、生まれて初めて自らもコーヒー浣腸を経験し「どうしてもっと早くしなかったのだろう」と後悔。それまで怖かったがんという病気と、ゲルソン療法の奥の世界に、強い関心を抱くようになる。

 

2003年12月、今村光一先生が逝去。

それまで今村光一先生を講師に迎えゲルソン療法講習会を主催していた団体から、今村先生亡き後の代わりの講師として依頼を受けるが、人に教えるほどの知識がなく保留に。

 

2004年10月、阿部孝次の勧めと援助でゲルソン療法の教育方法を習得するべく、米国ゲルソン・インスティテュートのワークショップに参加するため渡米。日本人として不思議に思う大豆・海藻・きのこ・玄米・ゴマ・しょうが・アロマテラピーを推奨しないゲルソン療法のルールについてシャルロッテ・ゲルソンに質問し、腑に落ちる回答を得る。日本で教えられてきたゲルソン療法と、本当のゲルソン療法とのあまりの違いに愕然とする。

シャルロッテ・ゲルソンが運転する車に同乗し、彼女の案内でメキシコのゲルソン・クリニックを取材。入院患者の知識の豊富さと明るい様子に感銘を受ける。

 

帰国後、某団体主催のゲルソン療法講習会で著名な医師とダブル講師を務め、米国で学んだ情報を患者に伝え始める。参加者からの質問に対する回答が医師と食い違うことに困惑し、参加者を迷わせたくないとの思いから講習会での講師は2回で辞退する。

 

2004年12月、某団体主催の3泊4日ゲルソン療法研修会で、ゲルソン・インスティテュートで習得したゲルソン療法を教えることを条件に講師を任される。調理実習で主催者が販売する商品以外は使用も推奨も禁止との規定に、主催者との関係に悩みはじめる。

物販と教育は分けたほうがすっきりするとの結論に達し、その団体とのゲルソン療法関連業務は以後辞退することに。

 

3泊4日ゲルソン療法研修会の余韻で、自宅に患者やその家族からの問い合わせが来るようになる。求める人のために、習得したゲルソン療法の正確な情報を伝えることの意義と価値の大きさを再認識する。

以後、スポンサーに頼らず完全独立のスタンスで、小規模なゲルソン療法ワークショップを自宅で開始する。

 

2005年、渡米しゲルソン・インスティテュートの医師向け教育プログラムを取材。世界中の医師がゲルソン療法を学びに来ていることに感銘を受ける一方で、日本では専門教育を全く受けていない多くの医師が想像上のゲルソン療法を患者に行っている事実にショックを受ける。

 

日本で唯一、ゲルソン・インスティテュート認定の、ゲルソン・ケアギバー&ホームセットアップコーディネーター(後のゲルソン・ホームセットアップ・トレーナー)となる。

 

2005年4月〜2006年5月まで、『メディカル・ニュートリション』紙(UBMジャパン株式会社)で「教育とサポートがある統合医療ー食事・栄養・解毒・通常療法の統合/ゲルソン・インスティテュートの実例から」をジャーナリストとして12回にわたり連載。

 

2007年、渡米しゲルソン・ケアギバー向けインターンシップ研修に参加。

 

2009年、『ゲルソン療法』シャルロッテ・ゲルソン著(地湧社)を翻訳出版。

 

2009年10月、心理的なストレスが複数重なった末、帯状疱疹で亀田総合病院に1週間入院。医療現場を患者の視点から見る機会を得る。

 

ヨガと瞑想のワークショップで鴨川市を訪れていた秋元健太郎先生(スピリットリアル、宮崎県)のガイドで病気になることを望んでいた自分に気づく。

その後の自己検証で、ゲルソン療法の実践がよくできても心理的な問題が健康問題の解決を阻むのを実感する。

 

ゲルソン・ケアギバーの名称がゲルソン・ホームセットアップ・トレーナーに改称。2011年9月、日本でトレーナーを養成する教師になるため、渡米。ゲルソン・インスティテュートの研修を受ける。

ゲルソン・インスティテュートより正確な情報伝達に尽力してきた長年の功績を認められ、ゲルソン・アンバサダーとなる。

 

2012年3月、サンディエゴで開催されたシャルロッテ・ゲルソン90歳記念バースデーパーティー(スポンサーは株式会社ハウ、東京都北区)で、世界から集まった200名の出席者を前に記念スピーチを行う。

 

2013年6月、サンディエゴで開催された「ゲルソン・ベーシックス・ワークショップ」に、日本人9名のグループで参加。海外研修をスタートする。

 

2014年6月、海外研修に2名のグループで参加。

 

2014年7月、メキシコのゲルソン・クリニックに患者の通訳兼付き添いとして同行。コンパニオン業務をスタート。

 

2015年2月、海外研修に3名のグループで参加。

 

2016年7月、渡米し、米国ゲルソン・インスティテュートの新プログラム「ゲルソン・ハンズオン・ワークショップ」に参加。

 

2016年9月、日本でゲルソン療法の普及教育を担う人材として、ゲルソン・エデュケーター登録制度をスタート。

ゲルソン・インスティテュート認定ゲルソン・プラクティショナーの研修で酒向猛医師の通訳補助をスタート。

 

2016年12月、和田祐子さんをゲルソン・エデュケーターに認定。

2017年4月、石黒香さん、土本英子さんをゲルソン・シェフに認定。

2017年7月、石黒香さんをゲルソン・エデュケーターに認定。

2017年8月、杉本佳江さんをゲルソン・エデュケーターに認定。

 

2017年、ゲルソン療法の総合雑誌『totality』を発行予定。

ゲルソン療法の活動に特別なご支援をいただいた方々

株式会社三松企画様

http://www.ikita-yasaijuice.com

 

モアーク食材開発株式会社様

http://www.yukiyasai.com/index.html

 

ヒューロム株式会社様

http://huromjapan.com

 

いしぐろクリニック

http://www23.atpages.jp/~ishiguroclinic/

 

治ゆの扉

https://sites.google.com/a/dietaryheal.com/diet/

ゲルソン療法関係の認定証類

Webサイト、Gerson Life〈ゲルソン・ライフ〉を運営するゲルソン・アンバサダーは、皆さまからいただいたゲルソン療法に関するサービス料の一部を米国NPOゲルソン・インスティテュートに納めています。皆さまのお力が全世界の人々にゲルソン療法を伝え続ける力になっています。皆様のご協力に心より感謝申し上げます。

Facebook